ブログを「書こう」と心の中で思ったのなら、その時スデに行動は終わっているんだッ!
やぁ、よく来てくれたね。
君は、この記事をどうして読もうと思ったのかな?
たまたま記事のタイトルが目に止まったから、だって?
ということは、「自らの意志でこの記事を読もうと思った」ということだね?
・・・残念だけど、それは間違いかもしれないんだ。
実は君に、いや人間に「意志」なんてものはないかもしれないんだ。
「人間に意志がない」なんて、一体どういうことかって?
それを説明するためには、少しだけ時間を貰ってしまうけれど・・・
よければ聞いておくれよ。
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1980年代、アメリカのベンジャミン・リベットという学者による、ある実験が行われた。
その実験の内容は、被験者に「好きなタイミングでボタンを押して良い」と伝え、脳の活動がどのように行われるかを測定するという実験だ。
当然、脳の中では
1. 「ボタンを押そう」という意志が生まれ
2. 「体を動かすプログラム」をする脳部位が活動し
3. 「指でボタンを押せ」という指令が送られる
この順番になるだろうと考えられていた。
しかし、実際の結果は違ったんだ。
結果は、「ボタンを押そう」という意志が生まれる、0.5秒~1秒ぐらい前に、すでに「体を動かすプログラム」をする脳部位の運動前野が、ウォーミングアップを始めていたんだ。
つまり、実際は
1. 「体を動かすプログラム」をする脳部位が活動し
2. 「ボタンを押そう」という意志が生まれ
3. 「指でボタンを押せ」という指令が送られる
という順番だったんだ。
つまり、意志が生まれる前、すでに脳が活動していたということになる。
これは、衝撃的な事実だ。
だって、「意志が生まれる前に脳が活動を開始している」ということは、とどのつまり、人間に「自由意志はあるのか?」ということになるんだもの。
さらに2005年には、科学誌サイエンスに、ヒルによる実験結果が掲載された。
ヒルはヒトと違い、単純な脳をもっているから、標本としてはうってつけなんだ。
実験の内容は、
・ヒルの体を触ると、ヒルは逃げる
・逃げ方には二通りある
・どちらの逃げ方をするか、脳の中でどのように意志決定しているのかを調べる
というもの。
二通りの逃げ方とは、
1.シャーレの底を這って逃げる
2.泳いで逃げる
のふたつだ。
そして・・・体を触った時、どちらの逃げ方を選ぶか、どのように意志決定しているかが判明したんだ。
なんと、ヒルが泳いで逃げるか、這って逃げるかどちらを選ぶかは「たまたま」だったんだ。
そこに、ヒルの意志というものは存在しなかった。
どういうことか説明しよう。
まず、神経細胞には、電気活動として「ゆらぎ」が存在する。
システムというのは理由も原因もなく、存在するだけで揺らいでいるんだ。
このゆらぎによって、細胞膜には「電気が溜まっている時」と「溜まっていない時」があるんだ。
そして、神経細胞(208番という番号がついた神経細胞)にたくさん電気が溜まっている時は泳いで逃げ、溜まっていないときは這って逃げる。
それだけだったんだ。
刺激が来たときに、神経細胞がどんな状態かによって、行動が決まっていたんだ。
決して最初に「這って逃げるぞ!」「泳いで逃げるぞ!」という意志が生まれていた訳ではなかったんだ。
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とまあ、解説がとても長くなってしまったんだけど。
ようするに、君がこの記事を読もうと思ったのは、決して君の意志ではなく、たまたま脳が揺らいでいたから、ということになる。
そう、君が「読もう」という意志を発生する、0.5秒~1秒前にはすでに脳は記事を読むウォーミングアップをしていたんだ。
となると、フランスの哲学者、デカルトが言ったあの有名な言葉
「我思う、故に我あり」ですら、もしかしたら信じられないのかもしれない。
この言葉の意味は、
この世のあらゆる存在は「本当に存在するのか」を疑うことができるが、そのように「考えている自分の存在」だけは疑うことができない、
ということなんだけど
この考えすら、脳のゆらぎによりもたらされたものだと知ったら、デカルトはさぞ悲しんだことだろう。
ん・・・ということは、待てよ。
このブログを書こうと思い、言葉を綴った私の意志も、私の自由意志ではないということなのか・・・?
「書こう」と思う前に、脳のゆらぎが、たまたま決めてしまっていたことだというのだろうか・・・。
ということは・・・
「ブログを書こう」と心の中で思ったならッ!
その時スデに行動は終わっているんだッ!
っということなのかもしれない・・・。